人生ハードモードは良いこと?
「人生ハードモード」なんて言ったりする。これは悪い意味で使われたりするのだけど、実は良い意味なのではないだろうかなんて思ったりもする。実際ゲームをするときにどの難易度で遊ぶだろうか。それなりにゲームは得意なので、いきなりイージーモードでは遊ばない。ゲームというのは与えられた困難を突破したときに達成感が得られるものであるはずだ。敵の攻撃が弱くて、よっぽどのことがなければ死なないというのはとてもつまらない。それなら無難にノーマルモードかな。でもそれなりの手応えがほしい。だったらやっぱりハードモードでしょ。
そう、ハードモードは楽しい。なんせそう簡単には攻略できないのだから。知恵を絞って、何度もチャレンジしてやっとクリアする。ゲームはそれくらいでなきゃ。クリアするハードルは高ければ高いほどよい。とはいえエクストラベリーベリーハードモードは逆に面白くないかもしれない。それはただの理不尽である可能性が高いからだ。やっぱりハードモードくらいがちょうど良い。
人生も同じではないだろうか。実家が太くて、頭も良くて、形が整っていたら人生イージーモードかもしれない。でもそれって本当に楽しいのだろうか。ある程度の困難はあったほうが楽しさが生まれるのではないだろうか。なんて思ったりもするのだが、そもそも人生なんて人それぞれだ。実際イージーモードの人なんていないのかもしれない。その人にはその人なりの悩みがあったりするものだから。ということはモード選択ができないことがそもそもの問題なのかもしれない。人生は急にスタートする。生まれる場所も皮膚も目の色も選べない。僕みたいにハードモードが好きでない人もいるかもしれない。イージーモードでもっとのんびり遊びたかった。いやトレーニングモードで黙々とプレイしていたかった。そんな人もいるだろう。人生のモード選択ができる世の中だったらどんなに良いだろうか。メニュー画面を開いて途中で変えることもできたらなお良い。
僕自身多少の困難はあれど、日本という国に生まれ、大学にも行くことができて、イージーモードなのかもしれない。実際にハードモードを歩んでいる人に怒られてしまうかもしれない。そもそもモード選択はできない。そこは受け入れるしかない。受け入れたうえで、いかに楽しむか。それだけを考えていこう。