私はこの度、重大な理論を見つけてしまった。それはハウリング理論とでも呼ぼうか。いや、正確に証明されたものではないので、ハウリング予想ぐらいにしておいた方がいいかもしれない。

「ニワトリが先か、卵が先か」みたいに、どちらが原因でどちらが結果なのかよく分からないものは無数にある。そんなとき、この「ハウリング予想」が適用できるのではないだろうかと考えている。例えば、僕はかなり自己肯定感が高い方だと思っている。しかし、それは生まれ持ったものではなく、親の愛情をたっぷり受けてきたからであるはずだ。そう考えると、他者から与えられたという経験が先で、自己を肯定する力が後という風にも思える。本当にそうだろうか。もしそうだとしたら、他者から与えられたという経験がなければ自己肯定感は育たないことになる。今そのような存在がいない人には絶望的な結論だ。しかし、ここには誤った二分法が存在しているのではないだろうか。必ずどちらかが先である必要なんてない。

そこでこのハウリング予想だ。まず初めに、ほんのちょっとした愛情を受け取ったとする。それは本当に些細なことで構わない。その受け取った愛情を元に、ほんのちょっとした自己肯定感を生み出す。いや、この時点ではまだ自己肯定感と呼べるほど大きなものでなくても良い。少しだけ自分の存在を肯定しても良いかも、といった程度のことだ。その肯定が、新たな愛情をキャッチする力になる。これまで気づけなかった愛情に気づけたりする。すると、もう少しだけ自分を肯定しても良いと思えるようになる。マイクに入力された声がスピーカーから鳴り、スピーカーから出た音がマイクに入って増幅されるように。まさにハウリングだ。こうやって自己肯定感というものは増幅されていくものではないのだろうか。

先ほどの例では、愛情を受け取ることからスタートしたが、これはどっちだって良い。まずは自分をほんの少し肯定することから始めたって良いはずだ。むしろそっちの方が他者を必要としないのだから、誰だってできる。飯を食って、糞をして、寝る。これができるだけでなんと素晴らしいことか。そんなところから自分を肯定してみたって良い。冗談っぽく聞こえるかもしれないが、本当に僕は、心から、生命活動を維持しているだけで、どんなに素晴らしい偉業を成し遂げていることかと思っている。そう思えたなら、誰かからの愛情を受け取れるはずだ。愛情というと大げさかもしれないが、前から歩いてくる人がちょっと道を空けてくれたとか、そんなのでも良い。それも立派な愛情だ。

いずれにせよ、何かをキャッチして、増幅させて、返す。そんなことを続けていれば、素敵な音が響き渡るはずだ。