努力は必ず報われるのか。それは報われるの中身次第だ。ほんの一握りの人しかたどり着けないような場所、例えばオリンピックで金メダルを獲ることを指すのであれば、「必ず」なんて口が裂けても言えない。どれだけ多くの人が悔し涙を流したことだろう。

努力は必ず報われるとは限らない。これが真実だろう。しかし、結果が出なかったとしても、その過程で得られたことが結果的に良かったということはよくある話だ。経験上、確かにそうだと思う。僕は受験において第一志望の大学に受かることができなかった。しかし、その目標に向けて努力したことが今の人生に繋がっているし、何も無駄だったとは思っていない。だからそのことに反論するつもりはない。ないのだけれど、一つだけ物申したいことがある。それは結果的に得られるものを目的としてはいけないということだ。

手段と目的が逆転してしまうということはよくある。例えば、何かを身につけるために資格を取るという手段を取っていたはずなのに、資格を取ること自体が目的になってしまったりする。効率だけを重視して資格のための勉強になってしまったら、何かを身につけるという目的からずれてしまう。本末転倒だ。

これは結果的に得られるものの話にも通じるものがありそうだ。結果的に得られるものはあくまで「結果的」であるのであって、最初に目標としていた「結果」ではない。先ほどの話を端的にまとめると「努力は必ず報われるとは限らないけど、その過程で結果的に得られるものがあるのだから努力しろ」となる。しかし、こう言った時点で「結果的に得られるもの」を「結果」として置いていることになる。つまり最初の「努力は必ず報われる」が偽だとすると、「結果的に得られるもの」が必ず得られるとは限らないということになる。結局何が言いたいかというと、やっぱり「努力は必ず報われる」と信じるしかないのだ。それがたとえ偽だとしても、信じ込むのだ。必ず報われるとは限らないし、結果的に得られるものがあるとも限らない。それでも信じるしかないのだと思う。