俺の右脳が許さない
ずっと恨んでいることがある。それは小学校低学年のときのこと。苦手なコールスローが食べられなくて、給食の時間が終わっても食べるまで席を立たせてもらえなかったことだ。給食が終わると掃除の時間になるのだが、一人残された僕は机を教室の一番後ろまで下げさせられ、教室の掃除をする同級生を見ながらずっとそこに座っていた。未だに心に残っているということは、かなり深い傷を負ったのだろう。
今だったらあれは間違っていたと自信を持って言える。子どもにあれほど深い傷を与えてはいけない。あれで一体何が得られたというのだろうか。今だってコールスローは苦手だ。もし今タイムリープして当時の僕の頭の中に入れるとしたら、教師を睨みつけてやる。そっちがその気なら、俺は絶対ここから動かない。放課後になろうが、太陽が沈もうが帰らない。だからアンタもそこで待ってろ。もちろん残業代はもらってくれ。あれ、教師って残業代出るんだっけ。まぁいい。とにかくこれは俺とアンタの根比べだ。今ならそういう気持ちで挑めるだろう。
しかし当時の僕にはそうは思えなかった。小学校低学年の僕には学校が世の中のすべてだったし、教師とは正しさであった。だからコールスローを食べられない僕は間違っている。そういう思考になっていたと思う。そのことを親に話せば、それはひどい話だねと同情してくれたかもしれない。もしそうしていればこんなに引きずることはなかったかもしれない。しかしそんな発想すら浮かばないほど、学校は正しいものだと思っていた。
大人になった今はこう思う。世の中に絶対的な正しさなんてない。みんな間違っている。だからあのときの教師だって絶対的な正しさを教えていたわけではない。教師自身だってもがいていたはずだ。これが正しい方法なのか分からないが、正しいと信じるしかない。心を鬼にするしかない。少なくとも悪人ではなかった。それは本当にそう思う。だからあのときの教師を恨む筋合いなんてない。冷静に考えて、恨む必要もないし、むしろこんな気持ちで申し訳ないと思う。それならなぜ今でも恨みの気持ちが消えないのか。それは俺の右脳が許さないからだ。論理的に考えて、恨むようなことではないことは十分わかっている。頭では分かっている。いや、左脳では分かっている。それでも、感覚が、俺の右脳が許さないのだ。どうしても。