なぜラジオにメールを投稿するのか
とあるラジオ番組に15年以上投稿を続けている。採用率もそこそこ高く、パーソナリティにも認知されていると自負している。今回はなぜラジオに投稿しているのか考えてみたい。
一番の理由はやはりメールが読まれるとシンプルに嬉しいからだ。自分の書いたことが不特定多数に届いている。そう実感できることが何より嬉しい。だから採用されるためにあれこれ文章を練り直したり、かなりの時間を使っている。ではなぜ単純な嬉しさのためにそこまで時間を割けるのだろうか。
僕が初めてラジオに投稿したのは中学生のときのこと。山梨のローカル番組だった。大喜利のようなメールコーナーに初めて送ったメールが採用された。今考えると山梨という地方の小さな番組、しかもラジオという地味なメディア(当時はradikoなんてものはなかった)なのだから、競争率はかなり低いと思われる。その中で採用されることは大したことではない。しかし、当時の僕にとっては心臓が飛び出るほど嬉しかった。地方の閉鎖的な空気(実際に山梨という山に囲まれた地域)にどこか息苦しさを感じていた僕にとって、初めて「世界」に居場所ができた感覚があったからだ。その番組も山梨のローカル番組なんだけど。とにかく自分の居場所ができた気がした。
その感覚がずっとあるのだと思う。今は東京に暮らしていて、一応「社会人」として生活をしている。しかし、なんとなく世の中に対する居場所のなさをずっと感じている。それでもラジオを聴けば僕に語りかけてくれているような気がするし、メールが読まれればアンタの居場所はあるよと言ってもらえてるような気がする。言ってしまえば自己満足なのかもしれない。でも「そう思える」という実感が何よりも大事だとも思う。
もう一つはメールに対する反応だ。自分が考えたことに対して何かリアクションがもらえる。それは自分では思いもよらなかったような反応であることもある。そういう反応をもらえると、「他者」と関われているような感覚になる。やっぱり自分は誰かしらの反応がほしいのかもしれない。こうやって誰に読まれるわけでもない文章を書いているわけだけど、本当は誰かに聞いてほしいのかもしれない。誰かに笑ってもらえたり、つまらないと言ってもらえたり、反論してもらえたり。それは今でなくても良い。数十年、数百年後でも良いのかもしれない。