昔のインターネットには「嫌儲」思想なるものが蔓延っていたと思う。簡単にいってしまうと「お金儲けは悪だ」という考え方だ。ピクシブ百科事典によると実は「他人の作ったものやWeb上の共有財産を(勝手に)使って金儲けをすることを嫌う発想を指すネットスラングである。」とのことらしい。つまり、自分で作ったもので自分で利益を得ること自体を嫌う言葉ではないらしい。しかし、印象としては自分のものであろうとお金儲けをすること自体を嫌う言葉だという感覚がある。いつの間にか言葉の意味が転じてしまったのだと思うが、今日はそういう意味での「嫌儲」について考えてみたい。

実を言うと僕自身も嫌儲的な感覚を持っている。もちろんクリエイターにはそれ相応の報酬が入るべきだとは思っているが、ビジネス的なものにすっすらと嫌悪感があることは否めない。YouTuberは今や立派な職業としてある程度認められているように思えるが、結局はお金のためにやっているんでしょ?と思ってしまう。何度も言うが、もちろんそれでいいし、何の問題もない。でもこの嫌悪感はどこから来るのだろう。いやYouTuberだけでない。芸能人だってお笑い芸人だって飯を食うためにやっているわけだし、あらゆる職業がそうだ。僕だって純粋にやりたいことをやるべきだと思っていたが、ある時期からそれなりの社会性、つまり経済に組み込まれるような仕組みを作らないといけないと思うようになった。しかし、それを考えすぎると純粋性は徐々に薄れていき、お金を作ることが目的となってしまう。どうしてもそこから逃れられないことが嫌なのかもしれない。

昔のインターネットには純粋に楽しむということが溢れていた気がする。それはインターネットではお金が稼げなかったからだ。正確には一部の限られた人は稼げていたかもしれない。2ちゃんねるなどの匿名掲示板に書き込むだけの多くのユーザーにはお金を稼ぐなんて発想は1ミクロンもなかった。それが今やYouTubeはおろか、Xでさえもお金が稼げるようになっている。そこではお金を稼ぐことに最適化した戦略が求められる。そこでは純粋性なんて何の意味もない。あのワクワクするインターネットはもう戻ってこないのだろうか。