本サイトにおいてどこまで個人を特定できる情報を開示するか悩むところだ。僕と直接お仕事をしたことがあれば、Githubアカウントですぐに分かる。まぁそれはいい。どちらかというとこの日記を見て、あぁこの人はこういうところに所属してこんなことをやっているのね、とバレてしまうことにはやはりまだ抵抗がある。正直なところこの超情報化社会においては頑張ればいくらでも特定できてしまうのだろうけど。

こんなことを思ったのも、今日はそこそこ大きなイベントがあったからだ。一応かなりボヤかして書くが、人生において数少ない師と呼べる存在の大事なイベントだ。おそらくその師と出会わなかったら僕の人生は大きく変わっていただろうと思う。ある意味、こんなに常に物事を考え続け、藻掻き苦しみながら生きずに済んだかもしれない。それでも、その師に巡り会えたことは本当に心から良かったと思える。それは答えのない世の中において、考え続けることを肯定できたからかもしれない。真実には永遠にたどり着けない。しかし、それに漸近することはできる。でも結局真実にたどり着けないのであれば漸近する意味はあるのだろうか。それならいっそ何も考えず楽に生きた方が良いのではないだろうか。そんな風に思えたりもする。それでも人類はそこにたどり着こうとする。たどり着こうとしてしまう。それを願ってしまう。意味とか価値とか関係ないのかもしれない。そう願ってしまう人類の営みそのものを肯定する。そう思えるようになったのはその師のおかげだと思う。

その師に会うといつも刺激を受ける。こんなところで絶望していてはいけない。自分にできることを少しずつでもいいから続けていこうと思える。