憧れられる対象の変化
憧れられる対象というのは時代によって移り変わっていくものだと思う。それは、なりたい職業ランキングのようなものを見れば分かるだろう。一方でスポーツ界のスター選手やアイドルのように、ずっと憧れの対象であり続けられるような存在もある。そういったある世界における頂点のような存在は時代に依らず憧れられるものなのだろう。しかし大多数の人はスターにはなれない。どれだけ努力をしても席が限られている。だから多くの人は現実的な憧れを目指す。今回はそんな身近な憧れについて考えてみたい。
身近な憧れというのは言い換えると自分でもなれそうな現実的な憧れということだ。先に挙げた「なりたい職業」なんかがまさにそれだ。でもここでは職業に限らず、もっと広い意味でのライフスタイル的な憧れについて考える。僕自身のことを思い返すと、理系的なものに憧れがあった。論理的に物事を考え、冷静に分析するようなイメージがあり、カッコいいと思っていた。たぶんそれは森博嗣なんかの影響があると思う。森博嗣を読んで理系的なものに憧れたことのある人は多いのではないだろうかなんて思ったりする。しかし今はどうだろう。まだそんな雰囲気は残っているのだろうか。これは感覚的なものなので実際には分からないが、あのカンジは消えてしまっているような気がする。どちらかというとあのカンジはちょっと変わった人、特殊な人みたいな雰囲気になってないだろうか。この感覚がどこからくるものなのかはよく分からない。世の中で流行っているコンテンツだろうか。
僕が大学生の頃は、起業的なものに憧れを抱く人が多かったように思う。SNSが普及し、スマートフォンが浸透し始めた頃。誰しもがアプリやゲームを開発して一発当てるなんてことに開かれていた。もちろん今もそのカンジは残っているだろうが、憧れられる起業家というのはSNSでブランディングをしていたり、YouTubeなんかでビジネスを語ったりなんかしているイメージだ。念の為言っておくがこれは勝手な想像だ。
どういうあり方が憧れられている空気があるか。そしてそれはどのようして作られているのか。すごく大事なことのように思える。なぜならそれが人々の目指す方向を左右するからだ。僕は一つ危惧していることがある。それは研究者への憧れが減っているのではないかということだ。研究がカッコいいことだと思われていない。そんな空気を感じる。勝手に。このままだと研究が衰退していってしまう。勝手にそんな空気を感じ、勝手に心配している。