大学院まで行っていると言うと勉強が好きなんだねと言われることがある。いやいや僕が好きなのは研究だ。研究と勉強はまったく違う。そんなことを言っても世の中の大半の人は研究なんてやってないんだから伝わらない。勉強と研究の違いなんて分からないのが当たり前だ。

僕はむしろ勉強が嫌いだ。中学生の頃は特に酷かった。こんなことをして何の意味があるのだろうなんて考えていた。しかし幸いにも(?)勉強ができる方だった。だから成績は良かった。好き嫌いというより向き不向きがあるように思う。それが高校に入ってから少しずつ変わってきた。それは研究というものに興味が出てきたからだ。この勉強の先には研究がある。そう思えたことで嫌いな勉強も少し好きになっていった。大学に入り研究室に所属してからは楽しかった。やっぱり研究というものは奥が深い。その深淵にずるずると引きずり込まれていった。

勉強と研究の違いを説明していなかった。いろんな考え方があると思うが、僕なりに簡単にまとめてしまうと勉強とは既知のものを知ることで、研究とは未知のものを既知にすることだ。つまり研究とはまだ誰も知らないこと、やってないことをやるということ。それには今どこまで分かっていて、どこからが分かっていないか知る必要がある。だから勉強の先には研究がある。だから義務教育を経て、高校、大学、大学院へと進学し、研究に繋がっていくのだろう。しかし実際は順序が逆のようにも思える。まずなんらかのことを不思議に思う。それは数学でも物理でも文学でも芸術でもいい。なんでこれはこういうふうになっているのだろう。未知を知りたい。まさに研究だ。そこからスタートして物事を調べていくと、世の中には同じようなことを考えているひとがいるもので、既に研究されていることがたくさんある。それらが体系的にまとめられた教科書的なものもある。そこから勉強が始まる。だから本当は研究が先に来るはずなのだ。

未知のものを知りたいと思うことは誰でもあるはずだ。だから研究という営みに対する心は誰の中にもあると思っている。研究という言葉はもっとカジュアルである。誰もが日々研究しているといってもいいかもしれない。でも人々はそれに気づいていない。それはやはり勉強が先に来てしまうからだ。現代のシステムでは勉強の先に研究があるように錯覚してしまう。だから本当は勉強が嫌いな人ほど研究が好きになれると思う。かつての自分がそうだったように。既知のものを知って何になるんだろう。そんなことばかり疑問に思っていた。その疑問に思うという心自体が研究の入口だ。だから勉強が嫌いな人は研究を好きになれる素質がある。そう僕は思っている。