世の中の大半の争いのもとは被害者意識に起因するのではないかと思う。大きな争いも小さな争いもだ。世界で最も大きな争いといえば戦争になってしまうが、僕が語れるようなことではないので一旦保留する。小さな争いでいうなら例えば道端で肩がぶつかったことによる言い争いなどである。もちろんぶつかられた方が被害者ではある。被害者であるのだから被害者意識が生まれるのは当然である。そこでぶつかった方に加害者意識があるのであれば、素直に謝れば事は収まるだろう。しかしぶつかった方が意図せずぶつかってしまったのかもしれない。その場合、ぶつかった方に加害者意識は生まれない。そうなると謝罪の気持ちは生まれない。被害者意識だけが宙に浮いたままになってしまう。それが争いのもととなる。

そもそもぶつかるという行為は同時に起こる。つまり、AとBがぶつかった場合、AはBにぶつかられたことになるし、BはAにぶつかられたことになる。そう考えるとAもBも加害者でもあり被害者でもあることになる。しかし人は得てして被害者意識の方に目が行きがちな気がする。僕も道端でもし人がぶつかってきたら、急にぶつかられたと思ってしまうと思う。そうなると片方の被害者意識が宙に浮くだけではなく、両者の被害者意識が宙に浮くということになってしまう。いっせーので同時に謝ることができれば争いは生まれないのかもしれない。でもそれは難しいように思う。謝ったほうが負け、謝ったほうが悪いという価値観が蔓延っているような気がするからだ。

ではどうすればいいのだろうか。一つは「許す」ということなのかもしれない。被害者意識が争いのもとであるのであれば、許していくことしかないのかもしれない。しかし、ただ許すというのも違う気がする。被害は被害であると声を上げなければいけないこともある。そんなお人好しでいたら、悪い加害者ばかりが蔓延る世の中になってしまう。結局その塩梅が難しいことが世の中をこんなにも複雑にしてしまっているのだろう。少なくとも過剰な被害者意識というのは悪であると思う。もし何らかの被害を受けたと感じたのであれば、その事実を淡々と述べるだけで良いのだと思う。それはある意味とても残酷なことでもある。なぜなら被害者の心には寄り添わないということでもあると思うから。