子供の頃、しょうらいのゆめを書くのが苦手だった。正直に書くのであれば「ない」の一言になってしまう。でもそんなことを書くわけにはいかず、適当な嘘を拵えた。今思えばないものはないと書いてしまっても良かったかもしれない。だってそれが本心なのだから。では何と書いたのか。覚えている限りでは、学校の先生とゲームクリエイターの2つだ。どちらもとても浅はかだ。そもそも子どもに想像できる将来なんてそれほど多くない。身近で最も想像しやすいのが学校の先生だ。だからそう書いたに過ぎない。そしてゲームが好きだった。どうやらこれを作っている人がいるようだということは想像できていたらしい。特別なりたいと思っていたわけではないけど、まぁ好きだからというぐらいの気持ちで書いた。しょうらのゆめなんてそんなもんだ。

そもそもなぜしょうらいのゆめなんて書かされるのだろう。そこにはしょうらいのゆめを持つことが良いこと、いやむしろ持つべきであることだという暗黙のメッセージがあるように思われる。夢を持ちそれに向けて努力をすることは素晴らしい。もちろんそれを否定するつもりはない。でも夢を持たなくたって、努力していなくたって全然素晴らしいことではないか、とも思う。夢なんてなくたって生きていける。しかし、しょうらいのゆめを書かされることで夢を持つことこそが良いという暗黙のメッセージを受け取ってしまうが故、そうは思えない、思ってはいけないと思わされてしまう。それは良くない。

実際子供の頃に夢を持っていた人はどれくらいいるのだろうか。あのときのしょうらいのゆめを本気で書いていた人はどれくらいいるのだろうか。多く見積もっても半分もいかないのではないかと勝手に思っている。それでも世間的には夢を持つことが大事だという価値観が蔓延しているような気がする。夢なんてあってもなくても良い。正直どっちでも良い。しょうらいのゆめを書く欄にまずは、しょうらいのゆめはありますか?という設問をおくべきだ。「はい」を選んだひとは次の欄にそのしょうらいのゆめをかいてください。「いいえ」を選んだら次の欄自体が非表示になるようなUIが理想だ。