バレなかったとしても嫌だ
人は誰しもズルをすることがあると思う。バレなければいいという精神だ。正直それ自体は悪いことではないと思っている。完全にルールに従って生きていくことは息苦しい。だからちょっとぐらいズルしたっていいではないか。もちろん法律という一線は超えてはいけない。(でも本当に全く法を犯したことのない人なんているのだろうか。)例えば学校の漢字テストでちょっと辺りを見渡してその漢字を見つける。これは立派なカンニングだ。バレなければ完全犯罪成立。テストの点がちょっとだけ上がる。正式な入試とかだと少し話は変わってくるが、学校のテストくらいだったらまぁいいだろう。いや本当はよくないけど。でも誰も不幸にはなっていない。強いていうならその人自身が少し不幸だ。自分の能力と評価にズレが生じるわけだから。まぁ僕はカンニングをすること自体意味が分からないからしないけど。そのくらいのズルは誰しもしてるのではないだろうかという話だ。
とはいえ同時に自分の中の気高い精神を保つことも大事だと思う。それはバレなかったとしても嫌だという精神だ。たとえ誰に見つからなくともそれだけは絶対にやりたくないということがある。誰も不幸にならず、この世界になんの影響もない、自分だけがちょっとだけ得をするようなズル。誰も不幸にならないのだから、バレなければ何の問題もない。でも本当にそうだろうか。いや違う。自分、いや自分の精神だけがそのズルを知っている。大事なのはそれを許容できるかどうかどうかだ。先ほどの漢字テストの例でいえば、自分だけがズルをして点数を上げたことを知っている。それを自分の精神が許すのかということを自問自答すべきだ。僕はわりとこのバレなかったとしても嫌だ精神が強い方かもしれない。なんというか自分の精神が許さない。そういう人間でありたくないと思ってしまう。それは他者から見ても分からないことだろう。それでも嫌だと思ってしまう。もちろんすべての物事においてではない。でもそう思うことが多い気がしている。例えばお釣りを多くもらってしまったとする。店員さんは気づいていない。でも言わずにはいられない。まぁそんなようなことだ。
かなり抽象的な話ばかりしてしまっているので伝わりにくいかもしれないが、とにかくバレなかったとしても嫌だという基準を気高く持つことが大事だと思う。それが自分の精神性を高める。そう勝手に思っている。