AIが奪ったのは楽しさかもしれない
昨日に引き続きAIの話をしたい。エンジニアとして働いているとAIに仕事を奪われはじめていることをひしひしと感じる。このままではヤバいと思いつつ、実は少し違う見方をしている。それはAIが奪ったものは仕事ではなく楽しさかもしれないということだ。
そもそもなぜ自分はエンジニアとして働いているか。それはたまたまプログラミングに適性があったからに過ぎない。そしてそれが世の中に求められていたのだ。つまり自分が偶然持っていたものが仕事に繋がっていたということだ。これはすごく幸運なことであると思う。プログラミングが好きかと問われると正直なところよく分からない。少なくとも嫌いではない。それほどの苦もなくできるといったくらいだ。
自分が好きなゲームの1つに『ピクロス』というものがある。簡単にいうと、縦横のマス目に対して、上と左に書かれた数字をヒントにマス目を塗りつぶし、絵を完成させるというゲームだ。一時期これを淡々とこなしていた。何が面白いかと問われるとうまく言葉にできないが、少しずつ絵が完成されていくことに喜びがあったように思う。実はこれがプログラミングの本質のようなものではないかと思っている。仕事におけるプログラミングとは、与えられた仕様に対して正確に実装していくことである。ピクロスで置き換えると、与えられた問題に対してその絵を完成させる作業だ。しかし昨今のAIの進化によりほとんど自分の手でプログラムを書くことはなくなった。どちらかというとAIに適切な指示を与え、AIが出力した結果を判断することが重要となっている。ピクロスでいえばAIが問題を解いてくれるということだ。こちらは完成した絵を確認して、正しそうであれば受け入れる。つまりほとんどチェックしかしていないのだ。
ではこれからピクロスを解くとして、それをAIに解かせるだろうか。いや、するはずがない。たかがゲームだ。ゲームを遊ぶのにそれをAIにやらせるということほどバカげた話はない。ドラクエでいえば「ガンガンいこうぜ」や「いのちをだいじに」だけでゲームをクリアするようなものだ。これほどつまらない遊び方はない。何を言いたいか。ここで本題に戻ると、AIが奪ったのは楽しさではないかということだ。プログラミングという仕事をピクロスに置き換えて考えてみる。僕は楽しいからピクロスを解いていた。そしてたまたまそのピクロスを解くという行為が仕事になっていた。しかしAIもピクロスを解くことができるようになった。それも人間より圧倒的に早いスピードで。そうなってくると人間がピクロスを解く意味はない。結局ピクロスを解くという仕事はなくなる。最終的に奪われたのは仕事だが、その前に楽しさが奪われている。いや、そもそもを考えると楽しいと思ってやっていたことがたまたま仕事になっていた。それ自体が大いなる幸運だっただけなのだ。僕はAIにピクロスを解かせるような働き方はしたくない。というか向いていない。なぜならそれを解くこと自体が楽しいと思っていたからだ。改めてプログラミングという世に求められる仕事がたまたま楽しいと思えていたことに感謝したい。これからは違う道を探っていくことになるだろう。