あらゆる物事には冗長性が大事だと思っている。冗長性に似た言葉に冗長というものがある。単に性を付けるか否かの違いであるが、これが付くかどうかで全く印象が変わる。言葉は面白い。単に冗長というとかなりネガティブな印象になる。要は無駄に長過ぎるということだ。一方、冗長性というとどちらかというとポジティブだ。特に情報技術系の分野で用いられる言葉だが、簡単にいうと障害等に備えて必要以上に用意しておくということだ。例えばデータのバックアップなんかがそうだ。1GBのデータを残しておきたいとする。1GBの容量のハードディスクがあれば十分だが、もしそれが壊れてしまったらデータは消えてしまう。そこで別のハードディスクにバックアップとして取っておく。しかし本来1GBで良かったものが単純に2倍必要になってしまう。安全性のため、あえて冗長性を持たせておくのだ。

たまにこんな小さいお店にそんなに多く店員は要らないだろと思ってしまうようなお店がある。2人いれば十分回せそうなのに5人ぐらいいたりする。これを冗長と見るか冗長性と捉えるかで話は大きく変わる。お店側のコスト的な観点からすれば冗長だ。2人で回せるのなら本当はそれだけ人件費を抑えることができる。しかしそのうちの1人が急に具合が悪くなってしまったらどうだろう。控えがいないとお店が回らなくなってしまう。これはお店側にとっても大きな損失となる。そう考えると冗長性を持たせた方がいいだろう。

最小限のコストだけで回すことばかりを考えていてはいけない。何事にもある程度の冗長性は必要なのだ。ここで考えたいのが冗長性の冗長な部分だ。当たり前だが冗長性を持たせるとその分コストがかかる。単に何も考えず冗長性を持たせれば良いという話ではないのだ。言い換えると効率的な冗長性を持たせる必要がある。いわゆるRAID1ではなくRAID5/6の方が容量効率が良くなるといった話だ。これはあらゆる話にも通じると思う。会社で考えても単に人を2倍3倍にすれば良いという話ではない。もっと効率良く冗長性を持たせる方法もあるはずだ。それを探るべきなのだ。

何かを人に伝えるというときもこの冗長性は大事だ。単に冗長な部分を省いて核だけを残しても人に伝わりづらかったりする。まず何と言ってもこの文章自体もかなり冗長だ。一言でいえば冗長性が大事だで済んでしまう。しかし何かを伝えるためにあえて冗長性を持たせている。そう捉えてほしい。冗長な冗長性になってしまっている可能性は否定できないが。良い文章とは冗長性が最適化されているもののことをいうのかもしれない。その最適化法を探っていかなければと常々思う。思っている。思ってはいるのだが。あぁ冗長。