この日記を書くようになりちょっとした思いつきをiPhoneのメモに残すようになった。その中で筆が乗りそうなものを選んで書いているわけだが、自分でも何を思いついたのか忘れてしまったようなメモが残されていたりする。そのうちの一つが「己の頭の悪さを知れ」だ。一体このとき自分は何を考えていたのか。全くもって意味不明である。

なんとか記憶の奥底を探ってみると、このときは多分SNSを見ていたときのはずだ。昨今のSNSはひどい有様なのでできるだけ避けるようにはしているのだが、ちょっとした時間があるとつい見てしまう。例えば飲食店でご飯を待っているときなんかだ。大抵は本を読んでいたりするが、すぐ出てくるようなところだと対して没入もできないので、気軽に見れるSNSやYahooニュースなんかを見てしまう。避けているといいつつ結局は中毒だ。まぁそんなこともあってSNSを見てしまうのだが、やはりひどい。何がひどいかというと、あたかも自分が何でも知っているかのような投稿が目についてしまうことだ。適当に自分で発信している分には構わない。この日記だってそうなのだから。しかし誰かと議論(?)している投稿を見ると、なぜこの人はこんなにも自信を持てるのだろうと思ってしまう。その人のことがもっと知りたくて投稿を追ってみるが結局大したことは分からず時間を無駄にしてしまう。なんてことだ。

そんなようなものを見ているとき、ソクラテスのいう「無知の知」は忘れ去られてしまったのかと残念な気持ちになってしまう。僕はこの言葉は今でも通じる金言だと思っている。何を学ぶにしても結局自分は何も分かっていないということにただただ絶望する。しかしその絶望こそが希望の始まりだと思える。そんな言葉だと思う。この言葉をもっとストレートに言ってしまうと「己の頭の悪さを知れ」になるのかもしれない。そんなことを思ってこのメモを書き残したような気がする。

己の頭の悪さを知っていれば、そんな知ったような口は叩かない。悪いなら悪いなりに努力をしよう。自分の無知を知らない者は知ろうとしないということでもある。そうか、知ろうとしないことが気に食わないのかもしれない。僕は何事知ろうとしてしまう。結局何も分からなかったりするが。それでも知ろうとすることは止められない。知った気になるより知ろうとすることの方が面白くないですか?どこのだれかも分からない人に問いかけてみたい。