これまで何度も独自理論のようなものを書いてきた。何かを書くにあたってせっかくなら面白いことを書きたい。面白いこととはつまり世間とはちょっと違った視点から物事を見るということだ。「世間一般では◯◯のように思われているが、実は✕✕だと思う」みたいな。いかに「実は✕✕だと思う」の部分を面白くできるかということがカギになりそうであるが、実はそうではないと思う。大事なのは前半部分。「世間一般では◯◯のように思われている」という部分の思い込みだ。この思い込みがないと何も書けない。学術論文とかではそうはいかないが、こんなどうでもいい文章においてはどんどん思い込むべきだ。思い込んだ上で、新しい主張を繰り広げていこう。

そもそもこの文章自体がそういう構造になっている。ここでは単純に(前半)「Aと思われているが、」(後半)「僕はBだと思う」という2つのセクションで考えてみよう。先ほどの主張は前半こそが大事だというものだ。そしてそれを補強するために、一見後半がその文章の面白さにとって大事のように思われているという前提を置いた。つまり、A=後半が大事、B=前半が大事と置いていることに等しい。置き換えると「後半が大事(A)だと思われているが、僕は前半が大事(B)だと思う」となる。Bを主張するために、世間一般ではAであると勝手に置いた。思い込みも甚だしい。しかしこのように思い込まないと何も書けなくなってしまう。そもそも何か心に思い浮かんだとき、いくらか勝手に思い込んでいる。世間はこうであると。その上で本当はこうなんじゃないかと考えたりする。結局何が言いたいかというと、思い込むことこそが新たな思考を生むのかもしれないということだ。

思い込みでいうと、すべてのコミュニケーションは思い込みだと思っている。誰かと会話しているとき、よくよく聞いてみると全然噛み合っていなかったりする。実はそれぞれが勝手に思い浮かべていることを勝手に解釈し自分の中で納得しているだけなのかもしれない。誰かと話しているとそう思う。僕らはコミュニケーションを取っているようで取っていない。いやそれをコミュニケーションと呼んでいるのかもしれない。つまり情報を伝達しているわけではない。それぞれが勝手に思いを深めているだけなのだ。日常会話なんてそんなもんだと思う。すべては思い込みだ。みんなそれぞれの思い込みの中生きている。これはネガティブな意味ではない。ただポジティブな意味でもない。単にそうであるというだけ。その事実を粛々と受け入れていくだけ。