あなたの村へ連れてって
正直者と嘘つきがいるとする。今目の前にいる人はそのどちらか分からない。質問だけでどちらか見分けることは可能なのだろうか。例えば、「あなたは正直者ですか?」と聞くとする。正直者であれば「はい」と答えるし、嘘つきであれば正直者ではないのだから本来は「いいえ」と答えるはずが、嘘をつくので結局「はい」と答える。どっちにしろ「はい」と答えるのだから分からない。当たり前だが原理的に不可能であるように思える。不可能だから詐欺というものがなくならないのだろう。詐欺師に「あなたは詐欺師ですか?」と聞いても「いいえ」としか返ってこないのだから。
有名なクイズとして「正直村と嘘つき村」というものがある。正直村と嘘つき村があり、今目の前の道が2つに分かれている。それぞれがどちらかの村に続いているが、どちらが正直村でどちらが嘘つき村に続くのかは分からない。ある旅人が道を歩いていると、分岐のところに人が立っている。この人はどちらかの村出身であるがどちらかまでは分からない。このとき正直村に行くには、その人にどのような質問をすれば良いかというクイズである。有名なクイズなので答えを言ってしまうと、正解は「あなたの村へ連れてって」だ。正直村の者であれば正直に自分の村に連れて行ってくれるが、嘘つき村の者であれば嘘をついて自分の村ではない正直村に連れていくというわけだ。
このクイズを応用すれば詐欺師の問題を解決できないだろうか。例えば詐欺師が警察を騙って電話を掛けてきたとする。その電話の主が本当に警察なのかどうかは原理的に分からない。そうであれば答えはただ一つ、「分かりました。じゃあ警察署へ連れてって」だ。それならどちらであろうと警察署へ連れて行くしかなくなる。結局その人との会話だけでは真偽は判別できない。それなら目標を変えて信頼できる場所へ移動するということに絞るのだ。しかし本当のことを言えば、連れて行かれた場所が偽の警察署だったら結局それは判別できない。まぁ、偽の警察署なんてないはずだという前提を置く必要があるということだ。
大事なのは真偽を判別することは原理的に不可能だと自覚することだ。そうではなく信頼できる場所へ行くことを目指す。正直村と嘘つき村の旅人が今目の前にいる人が正直者か嘘つきか判別することを目指していないのはそういうことだ。あくまでも目的は正直村に行くことである。原理的に不可能であるのであれば、現実的な解の落としどころを見つける。単なるクイズではあるが、意外に教訓に満ちた話なのかもしれない。