僕は一応研究者の端くれである。といっても大学や研究機関に所属しているわけでもないし、最近は論文はおろか学会発表すらしていないので、研究者を名乗るのもおこがましいと思ってはいる。しかしずっと研究というものに関心を持ち続けているし、研究という営みこそが生きる上で最も重要なものではないかと思っている。実際自分が立ち上げた事業は研究に関わるものだし、研究というものの発展に少しでも寄与できたらと思って活動している。

そんなこともありずっと気になっていた『「役に立たない」研究の未来』という本を読んだ。正直なところ研究における役に立つ・立たないの議論については、暫定的ではあるが自分なりの答えを一つ持っている。端的に言ってしまえば、「人が知りたいと思ったことが役に立たないはずがない」ということだ。これについてはいつかまた書いてみたいと思う。とりあえず何かを知りたいという欲求自体は、ただそれだけで肯定されるべきものだと思っている。

この本の中では主に3人の研究者が研究における役に立つ・立たないについて議論を行っているわけだが、異なる分野からいろんな角度で話が展開され、とても興味深く一気に読んでしまった。しかし僕の中では一つ不満が残った。それは研究というものがかなり限定的に語られてしまっていないだろうかということだ。もっと言うと研究というものがアカデミックなものに限られているような印象を受けた。もちろんそれぞれがアカデミアに属する研究者なのだから当たり前ではある。しかし僕は研究というものはもっと幅広く、カジュアルに捉えても良い言葉なのではないかと思っている。

例えばゲームにおいてRTAというものがある。RTAとはReal Time Attackの略で、何らかのゲームを開始してからクリアするまでの実時間(リアルタイム)を競う遊び方のことだ。大規模な大会が開かれるほど一部では熱狂的な人気を博すコンテンツとなっている。僕はこのRTAも研究の一種なのではないかと思っている。どういうことか。有名な例としてドラクエ3のあの手法について説明しよう。その競技は、バグ技でもなんでもとにかくエンディングまでたどり着けばOKという、何でもありの部門だ。そこでとある選手がホットプレートを使用したバグ技を披露した。僕も詳細はよく知らないが、なんでもファミコン本体がある一定の温度になるとバグが発生するという。そのバグを発生させるためにホットプレートを利用して温度を調整しているというのだ。あらゆる手段を用いていかに早くクリアするかということを目指して様々な手法を試みる。この営み自体がとても研究的だと思える。

もちろんこのようなRTAが大学の授業として一つの科目になるとは思っていない。そもそも大学の授業で教えられるようないわゆるアカデミックなものだけが研究とは思えない。このホットプレートを編み出した人はとにかく早くクリアすることを一心に目指した。この営みを研究と呼ばずなんと言えよう。ここで最初の問いに戻ろう。そんなことをやって何の役に立つのか。もちろんただのお遊びなので役に立つはずがない、というのが一般的な答えだろう。しかし僕はちょっと違う。こういう何の役にも立たなそうなお遊びでも、その人が本気で取り組んでいるのであれば役に立たないはずがない。そこから何らかの知見が生まれ、新たな何かを生み出すかもしれない。少なくともそういう可能性に開かれていると思う。

僕はこのように研究の定義をもっと広く捉えても良いのではないかと思っている。そういう意味では日常のどんな些細なことでも知りたいという欲求から駆動されているものはすべて研究といって良いのかもしれない。誰もが日々研究をしているかもしれない。そうやって研究感を変えていくことが実は大事だったりしないだろうか。