今日は行きつけの定食屋に行こうとしたがなんとお休みだった。最近行けていなかったので前日から明日は絶対あそこに行くぞと意気込んでいたので、ショックすぎた。既にあそこのカツ丼の口になっていたのに。食べようと思っていたものが食べられなかったときの切り替えは難しい。その口になってしまったものを別の口に切り替えなくてはいけない。別の店のカツ丼ではダメだ。あの店のカツ丼の口になってしまっているのだから。ショックを受けながらトボトボ歩いて、ラーメン屋に行くことにした。ここからは歩いて十数分くらい。歩いているうちにそのラーメン屋の油そばの口に切り替えるのだ。口の切り替えには半分くらい成功した。あそこの油そばだって月1程度は行くくらい美味しい。しかしカツ丼の口は満たされない。来週は絶対に行こう。

午後はスタバで仕事をした。スタバにはあまりコンセントがないので、仕事には向いていないのだが、選択肢が限られているのでしょうがない。甘い物の口にもなっていたのでいつものダークモカチップフラペチーノを注文した。暑い時期のスタバではよく頼むのだが、最近はホイップを無料で追加してもらえる。以前からそうだったのかもしれないが、向こうから提案してもらえるようになった。そしてなんと今日はチョコソースまで無料で追加してくれるという。油そばを食べたあとで、ホイップとチョコソース盛り盛りのダークモカチップフラペチーノなんて、なんて身体に悪い食生活だ、と思いながら美味しくいただいた。

多少の罪悪感を感じながら後先考えず今の欲望を満たす。むしろ罪悪感があるからこそ今の欲望が輝くのかもしれない。罪悪感はもしかしたら何かを美味しく食べるスパイスなのかもしれない。僕は昔からチョコパイが好きだった。子どもの頃はチョコパイ一つが贅沢品に思えた。大学生になり一人暮らしを始めて一気にチョコパイを4個ぐらい大人買いならぬ大人食いをしたこともある。あの時は罪悪感というリミッターを外していた。もちろん美味しいには美味しいが罪悪感がないとなんとも味気ない。多少の罪悪感を抱えながらする贅沢こそが真の贅沢なのかもしれない。