コーヒーというのは不思議なものだ。いつの間にか好きになっている。子どもの頃は苦くて飲めたものではなかったはずだ。以前どこかで見たテレビ番組で、苦味を感じるのはそれが毒だと本能的に認識させるためとかなんとか言っていた気がする。それが様々な経験をしていく中で毒でないと認識され、飲めるようになっていくという。しかし決して美味しいものではないはずだ。それなのに飲んでいくうちに慣れていく。慣れていくと好きになる。

ではなぜ慣れないものを飲み続けるのだろうか。わざわざ好きにならなくたってなんの問題もない。自分の経験を思い出してみよう。コーヒーが飲めるようになったのは高校生くらいの頃だと思う。おそらく受験勉強のため割とよる遅くまで起きていることが多かった。夜起きているためにはコーヒーだと親から教わった。一口飲んでみる。美味しくはないが飲めなくはない。そんな感じの感想だったと思う。そこからコーヒーを飲むことが少しずつ習慣になっていったような気がする。そしていつの間にか好きになっていた。そう考えると初めはコーヒーを機能として飲んでいたのだ。眠くならないための機能として摂取し続けた結果好きになっていた。

違う観点から考えると、大人の飲み物というイメージに対する憧れもあったかもしれない。よく考えると、お寿司のわさびだってラーメンの胡椒だって子どものときは入れたりしない。それと似たような感覚だ。大人になってサビ抜きなんて言おうものならオコチャマだと思われかねない。正直好みなのだから好きにすればいいと思う。でもこの美味しさが分からないなんて勿体ない、とお節介な思いが湧いてしまう。いつからかサビ有りになったし、ラーメンに胡椒を入れるようになった。それらも最初は大人への挑戦という感覚があったように思う。我々は背伸びをしたいのだ。背伸びをして大人に近づきたい。そんな思いがあるのかもしれない。

僕はお酒が飲めない。まぁ体質的にアルコールに弱いのでしょうがないのだが。20代の頃は何度も挑戦していたのだが、いつからかもう諦めてしまった。文字通り吐くような思いをしてまで飲めるようになりたいとは思わない。しかしやっぱり心のどこかでお酒が飲めるということに憧れが残っている。健康面で考えたらむしろ飲めないほうがいいのかもしれないが。それでもビールを美味しく飲んでみたい。きっと僕が知らない快感がそこにあるのかもしれないから。